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英文法入門の入門(未完成)

多くの英文法書はいきなり文法事項の説明に入ってしまいますが、そもそも日本語と英語は大きく異なる言語なのです。その点をしっかり説明して、様々な文法への基礎体力をつけないでいては、どんなに英文法を勉強しても薄っぺらいものとなってしまうでしょう。そして、このことについて説明された本や参考書などは、大学の英語学や言語学に譲り渡されてしまうことが多く、しかもおおよその場合「既知のこと」として深くは掘り下げないのです。本記事は一生モノの基礎体力をつけられるようになっている(つもり)です。

(以下のことは読まなくても良いです)

では、最初にいくつか世間一般で嘯かれていることを取り上げ、考えていくことにしましょう。

文法知識として、過去分詞、受動態、他動詞、何型の英文なんてことは、一つも覚える必要はありません。言語学者や専門家がそういう分野を学べばいいだけであって、英語をマスターするのには不要です。日本語の文法なんて全く知らない人でも日本語を自由に喋れるのと同じで英語を使いこなすのにも支障はないということです。いかに英語を日本語の文法に置き換えようとするかに執着は絶対しないことです。

本当でしょうか? 根拠として挙げられているのは「日本語の文法なんて全く知らない人でも日本語を自由に喋れるのと同じで英語を使いこなすのにも支障はないということです」と挙げられていますが、我々は小学校、中学校、高校、大学、大学院、つまり一生涯、日本語を勉強しているはずです。そうでなければ小学校のテストに日本語の語法(「〜たり」は二回以上並列しなければいけないことや呼応の副詞など)を問うことはないはずですよね。しかも、もう一つ重要な点は、「日本人も無意識に日本語の文法を理解している」ことです。このようなことを言語哲学の分野では、難しい言葉で「現象学的」な手続きを踏んでいると言います。ですが、日本人が理解する文法は「言語的(宣言的)」なものではなく、「非言語的(経験的、感覚的)」なものなので、いわゆる「文法」とは一致しないことがあるのです。例えば橋本文法などのシステマティックな文法は、あくまで宣言的であり、しかも、それは本来非言語的なものを無理やり言語的に写し取っているので、合っている確証はないのです。

しかし、日本人が日本語の文法を経験的に理解できるのは、1日10時間以上日本語に触れて暮らすことを5年ほど絶え間無く行って初めて可能になります。しかも、それもぼんやりとしたもので(5歳児の日本語を思い浮かべてみましょう)、日本語ネイティブには遠く及びません。

そう考えたとき、どう考えても文法を学ぶのが、少なくとも外国語であるならば、最短ルートではないでしょうか。あくまで近似的な手法にすぎませんが、それはそれで良くて、その荒削りな英語を使っていくうちに修正していくというスタンスでないと難しいでしょう。英語に限らず、言語習得に完璧主義を持ち込むと失敗します

(以上)

もう一つ、文法用語は覚えましょう。いくつかの重要なものだけで良いです。本質的でない部分は後回しで良いでしょう。

 

それでは、英文法入門の入門、始まりです。

 

超基礎の基礎の基礎

文法上の最大単位はなんでしょうか? そう、文(sentence)です。Bloomfieldという人は「独立した言語形式で、他の、より大きな言語形式に含まれることのないもの」だと定義しました。なので、次のようなものは全て文に含まれます。

Hello!(こんにちは!)/ Yes.(はい。)/ Fire!(火事だ!)/ John!(ジョン!)/ Okay.(いいよ。)/ Stop!(やめろ!)

Poor John!(かわいそうなジョン!)/ No problem.(お安い御用です。)/ Down with the tyrant!(暴君を倒せ!)/ In the kitchen.(台所だ。)

Poor John ran away.(かわいそうに、ジョンは走って逃げた。)
Mother's in the kitchen.(母は台所にいる。)
Who took the money?(誰がその金を取ったのか?)

Poor John! は文で、Poor John ran away. の Poor John は文ではありません。同様にして、

  1. It's ten o'clock. I have to go home.(10時だ。帰らなくちゃ)
  2. It's ten o'clock, I have to go home.(10時だから、帰らなくちゃ)

1は2つの文ですが、2の場合は「等位構造」によって重文(後述)になっていることがわかります。

ところで、話し言葉ではどのように区別するか分かりますか? 1ではo'clockを下降ピッチ(アクセント)、つまり⤵︎で発音しますが、2では平坦ピッチ、つまり→で発音します。書き言葉では、当たり前ですが、ピリオド*1で文の終わりを表し、コンマで「文は終わっていませんよ〜」と表します。

以上でわかるように、文というのは機能的な概念です。なので、語であろうが句であろうが節であろうが、文という機能を満たしていれば文になります。しかし、節は構造的で、主語(後述)+述語(後述)という構造がなければダメです。

ただ、一つ注意していただきたいのが、一般に語や句というのはあまり英文でも出てこない上に、構造が簡明なので特に勉強する必要もないのです。なので、「節のことを文と考える」ことが一般的ですし、本記事でもそうすることにします。

*I(私)はどのような場合でも大文字で書いてください。これは印刷技術が中世になって発展した際に、薄くて見えなくなるのでIと書くことが習慣化したことが初めです。

主部・述部

アリストテレスという古代ギリシャの人を知っていますか? 「人間は政治的動物である」と述べた人ですね。彼が主部・述部を生み出したのです。

一般に文は「ある事柄について、何かを述べる」という形式を取っていますが、そのある事柄を「主部(subject)」、何かを「述部(predicate)」と言います。数学で、P(x)と書くことがありますが、あれはPredicateから来ています。

また、主部の中心となる語を主語といい、述部の中心となる語を述語、または述語動詞と言います。実際には主部と主語を区別しないこともあれば、述語動詞を単に述語、動詞と呼ぶこともあります。そして、本記事でも、その流儀に従うことにします。

 

問題1 次の文の主語、述語動詞を答えなさい。

  1. Birds sing.(鳥は歌う。)
  2. The pupils went on a picnic.(生徒たちはピクニックに行った。)
  3. The doors of the bus open automatically.(このバスのドアは自動的に開く。)
  4. The intoxication might have been watching me for a long time to thwart my plan.(その酩酊は私の計画を阻止しようと長い間私を見ていたのかもしれない。)

  1. Birds, sing
  2. The pupils, went
  3. The doors of the bus, open
  4. The intoxication, might have been watching

 

また、(on a picnic), (automatically), (for a long time to thwart my plan) は修飾語と呼ばれるものです。

目的語

4で watching me とあったように、動作が及ぶ対象が必要な場合は、その対象を目的語と言います。

補語

動詞の中には、I am ~~. や、They made Bill ~~. のように、主語や目的語があっても完全な意味が表せないものがあります。ちなみに、前者を不完全自動詞、後者を不完全他動詞と呼びます。

  1. I am happy.(私は幸せだ。)[I=happy]
  2. John became a doctor.(ジョンは医者になった。)[John=a doctor]
  3. The boys made Bill their leader.(少年たちはビルを彼らのリーダーにした。)[Bill=their leader]
  4. I found the boy clever.(私はその少年が賢いのに気がついた)[the boy=clever]

太字のような主語または目的語につく語句を補語と言います。1,2のようなものを主語補語と言い、3,4のようなものを目的語補語と言います。前者は主語と補語が、後者は目的語と補語が、主語・述語の関係になっています。

*補語と目的語の見分け方

必ず「主語=補語」「目的語=補語」が成り立つはずで、それが成り立たない場合は目的語となります。

 

問題2 次の語句が補語か目的語が判定しなさい。

  1. John is a student.
  2. John has a Japanese dog.
  3. I left the door open.

*1:このように文の終わりにピリオドをつけるようになったのは中世以降の文法学者によるものです。もし彼らがいなかったらラテン語のように文の判別ができないことになっていたでしょう。